衛星

 

 

私だって、っていう気持ちを飲み込んで結果胃が荒れる毎日

何が良くて何がダメなのかももうよく分からない 取り敢えずデザート感覚で気軽に死にたい

鍵を掛けてひたすら自分の感情をぶつけたものをネットの海からすくい上げて、もう何年も前のものになるけど、なんとなく閲覧して当時の気持ちを思い返してみる

今と大して変わってない 共通項 死にたい 4年経って死んでないってことは確立したものじゃ無かったのだろうきっと それは今も? 大事にしたいものなんて年々無くなっていくのに 何に躊躇してるんだろう それはそれとして、やっぱり家族の事に対するものが多かった あの頃はあの家が私の世界の全てだったし、汚い6畳、人一人分ギリ座れるスペースの中、絵とか描いて他人の秘密や感情を追うのに夢中で、兎に角早くいなくなりたいって気持ちでいっぱいで、休みの日も家にいたくなくて、意味も無く学校行って、誰もいない特別教室の床で大の字になって、窓から揺れる木とか、運動部の声とか聞きながら現実を浮遊していた 帰りたくもなくて、友達の家とか泊まって、兄弟仲も最悪で でも逃げてったって先延ばしにされるだけで、現実は悪い方へ悪い方へ向かってく 結局みんなの不満が爆発して死屍累々 横たわる母親 顔面ボコボコの姉 立ち尽くす私 化け物と化した父親 ぐちゃぐちゃになった部屋 何がいけなかったのかって何となく私にはわかるけど、言葉にしなくちゃ伝わんないよね 今どき寡黙な亭主関白とか流行んねーから きっと何者にもなれない 親が死んだらなにか気持ちが変わるんだろうか 喪失感? 今ですら会わなくても連絡取らなくても何も感じないのに 血の繋がりなんてあっても本質的なところをいえば赤の他人だし、私は私でしかない それは客観的にそうだし、主観的にもそうなのだから、結局家族の絆なんて言うのは綺麗事でしかないのである 

自分の思い通りに子供を操りたいのなら、それは到底無理な話なので、そもそも自我が確実に生まれるという時点で破綻している こういうのをすれ違いって言うんだろうな 電極でも頭にぶっ刺せばいいのでは? それでそのまま殺してくれればよかったのに 思い通りにいかないなってわかった時点で見切りをつけてくれればよかったのに

秋津でスカート履いてニヤニヤしてる小太りのおっさん眺めて羨ましいなあって思う あれは何かに対する復讐なのだろうか でもスカートをおっさんが履いちゃいけないっていう法律はないわけだし やっぱり常識なんて言うものは集団幻想にしか過ぎないのかもしれないなあなんて思ってる所で別にさして興味が無いのを思い出し、目を逸らして歩を進める訳ですけれども

そうやって他人に無関心な世界で生きていると楽だからスクランブル交差点とかで暮らしたい