恣意的な虚構

 

 

昨日は休みだったので部屋の片付けをした

いつかやらねばと日常的に思っていて、謎の焦燥感とやらはこのことにも起因してきたわけなのだけれども、やる気根気元気という人間を動かす最低限の気力が根本的に損なわれている私にとって、行動に移すまでは最低2年はかかるということがこれまでの生きてきた統計とされる

 

即ち、限界のギリ、追い込まれないと何も出来ない崖っぷち野郎ということ

片付けが出来ない、もとい、自分にだらしがない人間は、例え素晴らしい人間だったとしても、それが全てひっくり返るほどの恐ろしいマイナス要素

有り体に言うとクソ人間

良いとこなんてなにもない

 

ベッドの下のブラックホールを何とか何も無い状態に出来たので万々歳

ようやっとお天道様の下を堂々と歩ける

チャリンコ爆走お気に入りのパン屋に行ったはいいものの、大好きなガーリックフランスが空で肩を落としながら帰宅

代わりに買ったクロワッサン なかなかだったよお前

 

そうして夜は眠れず私は今日も死にたい気持ちでいっぱいなのである

何がそんなに嫌なの?と問われると自分のことが嫌いな人間は呼吸するだけで自己嫌悪に陥るんだぜ 

そんなこと表で言ったら暗くてヤバメだし本気で心配されたら余計辛くなって好きだった人も嫌いになりそうなので心の中で人格分裂しながら自問自答を繰り返している

死にたい死んではいけないどうしていけないいけないことだからだ早く死ね

そしてそんな気持ちでいると誰とも話したくないし笑えなくなってしまう わかっちゃいるが最近ごまかしが効かない コントロールが出来ない

もうそろそろ限界なんだと思う

自分が21年しか生きてない気がしない

終活だねってほんとその通りだよ今の内にやらなきゃいけないことやっとかないと

解決しなきゃいけない問題も結構山積みだし

でも何もしたくない

 

生産性の無い人間は不必要だと思う

生産性っていうのは、最近問題に上がってたけど、そういう子供が産めないことじゃなくて、そういう表面的なことではなくて

何かを生み出すということは難しいことじゃない

人は他者と共存しなくては生きていけないし、もうそれだけで誰かのなにかになっているわけだから、生産性が無い、なんてことは無いのである

 

 

では何故自分に生産性がないと思うのか?