幾何学的コミュニケーション

 

 

読書月間に突入すると段々と気が落ちてきてやがて触れてゆくのであまり良くはない

読書は良いことです

いつだって問題があるのは私の方だ

 

コミュニティの幅を広げてもひたすら息苦しいだけなのにこれは自傷行為に含まれますか?

傷ついてる訳では無いけどもう嫌だなってなる

人と関わるのが苦手ですって言うとそんな風には見えないみたいに言われるけどそれはやっぱり私の本質が見えてないだけというかいや他人からしたらそんなの知らんわって感じでしょうけど

本当に大事なものなんて何も無い

秘匿し続けたいものを暴かれるのが怖くて明日も人の目に怯えながらのろのろ歩いてくんでしょうけど

 

真夏の夜はよく悪夢を見る

普段夢を見ない分そのダメージは半端ではない

重たい湿気を感じながらむくりと起き上がると、浮かび上がった思考に映されたのは新学期を迎えるのが嫌だ、という、卒業して4年が経とうとしている身の上では考えられないような話

いつまで取り戻せなかったものをうだうだ忘れずにいるんだとほとほと自分に呆れ返り、朝っぱらから蝉の鳴き声をBGMに自己嫌悪に浸る

 

新しい環境がいつだって嫌いだ

春がいちばん嫌いな理由はまさにそれだし、楽しみだと思えたことがない

小学生の頃は6年間同じクラスだった人間がいて、4年を超えたあたりからもうこの人とはずっと一緒なんだろうと漠然と感じていたわけだけれども、中学生になって、家の前で少し大きめの真っ青な制服で写真を撮った日を最後に、『ずっと』なんてことは有り得ないんだという教訓を得た

それからもう私は親友なんてものはいないし、何でも話せる人間なんてのもいないわけである

所詮人間なんてものは普通の人生を送っていれば、自分が一番可愛いわけで、それを嫌悪するわけでも否定する訳でもないけど、すなわち何が言いたいかというと私はすべてにおいて諦めざるを得ないということである

 

自己犠牲をウリにしている、世間一般では『いい人』と呼ばれるような人間は、裏を返せばただの「偽善者」でしかないし、そういう人間ほど八方美人だったりするので私は信用ができないし、結局自分のことしか考えてないような人間の方が私は安心するし表面上の付き合いだけで満足するから楽なのである

だから交友関係に怪しさが生じ、何で?と聞かれることがたびたびあるのだがもう放っておいてほしい

良いだけの人間なんていやしないし、逆も然り、そういうこと

 

自分自身どういう人間なのかがわからないので、他者からの評価が気になるお年頃ではあるものの、自分の中での自分の解釈と全く一致しないので、私がおかしいのか、はたまた相手方がおかしいのか、全く理解に苦しむ一方なのでもう気にしないことにした

 

久々に下痢

花椒をかけて麻婆豆腐(赤)をかきこんだらこうだ

 

承認欲求から最も遠いとこにいる