サイコロジカル

 

 

私は私の思う正しさを信じきれるのか 命題である

ロクな人間じゃないのはわかってる でもそれが自覚出来ているだけマシじゃないの

別に私の事わかって貰いたいわけじゃないって今では思うけどまだ青臭さを秘めていた10代の頃、本当はわかってほしくて、でもわかって貰えないことを理解できてしまった頭では絶望しか感じられなくて、うまく自己表現が出来ずに空気が悪くなるのに怯えながら下を向いて生きていた 申し訳ない、かわいそうだったって思われてるのも分かっているし、それでも、それに応えたいとは思えない 全部今更だし、わかってもらえなかったっていう絶望的な現実が今でも私の行く手を阻んで目の前が真っ暗になる 

人のせいにすんなって批難されるところだけど屈折した感情を拗らせるのは当然の理じゃあないか 私は自分のおかしさと世間的な正しさを擦り合わせてなんとか立てている 大事なのはいつだって世間体だ 片方だけ判が押してある紙切れ 終わるのはいつだってあっけない それを目の当たりにして、人間を信じる信じないとか、愚問じゃあないか 別に裏切られたわけじゃない、気持ちが変わっただけ 生きてりゃそういうこともある 道は何も1本だけではないのである そこは納得してるし理解も出来るんだけど、じゃあ今まではなんだったんだろうって、あの時の疎外感や孤独ってなんだったんだろうって、抱いた憎しみや羨望って無駄な感情だったなって、自分の輪郭がたちどころにあやふやになってしまい、立ってるのが困難になってくる 自分の発した一言一言に自信は無いし、確証がないことに不安がある だから根拠の無い自信や、プライドとか、自分のことしか考えてないような人間が羨ましいし、理解も出来ない 他人も自分も嫌いになっていく一方だし、人間の内情の複雑さに辟易する 三大欲求の為に生きて、それが満たされればいいんじゃないの? 生きるって本来そういうもんじゃないの それを動物的だって言うの侮蔑だよな そうあれかし、では? 

向上心が悪だとは思わないし、そうあることに喜びや誇りを感じてる人間は少なからず社会に貢献してる訳だし、人権があると思う 少なくとも私よりは でもみんながみんなそんな生きることに莫大なエレルギーを抱いていちゃパワーバランス崩れて地球が吐いちゃうんじゃないの、知らんけど 

なんか、ギラギラしてる人間を見てると疲れる テレビとかで評論家やコメンテーターが討論してるのとか見ると恐怖しか感じないし、他人をくだらん理由で蔑んでるヤツを見ると憐れにすら思う ブーメランだし私別に人のこととやかく言えるほど崇高な人間じゃないけれども 地球もそうであって欲しい 私は問いたい 

人間って、怖くない?