人に夢

 

 

久しぶりに寿司屋に行きました

前ほど感動しない JK時代にぬるい風に煽られ並列走行でチャリを漕ぎ、取り留めのない話をしながらテカテカの顔で貪り食ったのが思い出

美化 

でも思い出すことが、記憶として残り続けていることこそが過去の私への弔いになるから

さようなら私 成仏してください

 

好きになるのに理由はいらないのと同じように、嫌いになるのにだって理由なんていらないのである

私の身の回りには嫌いが溢れすぎていて、日々、最新の情報に更新し続けている

最新の嫌いが私の1番身近にあって、それに付加価値がついて、好きになれれば万々

諦めが私の基本形 好きになれない いつまで経っても認めてやれない 

 

地元に帰ると過去の自分をついつい目で追ってしまう

さながら地縛霊のようで、消えてなくなってはくれない

何処を歩いていても思い出に目が霞むし、あの頃と比べて一体何が変わったんだろうと、変わる町 変われない私

過去からも置いていかれる感覚 よぎる蜃気楼にも着いていけない 伸ばした手は自分の体をすり抜けて、そもそも動かしてもいない事実に嫌気がさす

それも幻覚 過去と今も合わせても本当なんてどこにも見つかりやしないし、それでも私は私でしかいられないという事実

 

病室の臭いがどうしても嫌悪感

血圧も測れないほど細くなった手首

握った手の冷たさ

時折聞こえる呻き声 苦悶の表情

何をもってして生きていると言えるんだろうか

声をかけたり手をさすったり、意識があるとわかると飛びついて必死に顔を近づけて意思疎通を図ろうとする

私はもうやめてくれと肩を掴みたくてでもそれは出来ないのでソファで同じように横になりぼんやりと壁を見つめていた

また母親が母親として死ぬところを見なければならない 今度こそ死に目に会いたくなかったので帰宅してしまったのだがいつ呼び戻されるかもわからん 今夜が峠なんですかね?

生きようとしなくていい、だってもう水を飲むことすら出来ない

頑張ってなんてどうして言えるんだろうか

泣いて何になる?

私はもういいよって言いたい 頑張ったねって目を閉じさせてあげたいのに、周りの人間は目を開けてという

気持ち悪い

ただひたすら それが善なのだろうか?

やはり生きてる人間のエゴにしか思えない

人間の寿命は永くなり過ぎた

現代医療はとても素晴らしいものだと思うし、その研究をしている人や、実際に現場に携わっている人には頭が上がらない、素晴らしい人間だと思う

介護施設で働いている人も、本気でやりがいを感じて、人の為に尽くして、頑張っているのかもしれない

それでも、それでもと私は思ってしまう

何が正しいのかもわからない これは得意分野ではない

私の考えは根本的に死寄りだし、生きることこそが人類に与えられた唯一の権利とも思えない

どうせ死に集結して行くのなら、どうして延命なんていうものをするんだろう

大切な人がそういう状態になったらどうするんだ?と問われても私は人類みんなに平等なので 

特別なんてものはないし、大切な人だからこそ、ああもうやめだ、柄でもない

 

何が言いたいかって言うと、私はもう眠りたい